2008年05月12日

短編「少年と弁当」

「売れないな」
男は公園のベンチに腰掛け呟いた。
大手自動車会社に入社して10年、慢性的な不況の中自動車産業は全体的に回復していったが、男は人間がコントロールできない大きな手の平で転がされており、その不安定な上に存在が成り立っているのを認識した10年でもあった。

営業に疲れ、昼食を取っていないことに気づき、コンビニで弁当を買って公園のベンチに座った。

食べる気が起きず、ぼ〜っと風で揺れる木を見ていた。
こんな時、決まって少年時代に戻る。

大学3年生の時父親が倒れ家族を支えなければならなくなり、臨床心理士になるための大学院進学を諦めて就職した。

仕事と家族、重荷ではあるが、重荷を背負うことで男は生きていられる側面があった。

だが、少年に戻るとふと思うことがある。
「あの時の未来がここ…」

男はその言葉を発すると我に返り、
「こんなところで休んでいる場合じゃないんだけどな」
と思いながらも、ベンチに横になった。

しばらく目を閉じていると、初夏の香りを運ぶ風の音に混ざって声が聞こえた。

「ねぇ、お腹減ってるんだ。その弁当ちょうだいよ」

男は目を開け、起き上がった。制服を着た中学生と思われる少年が立っていた。
幼さと成熟したものを感じさせる、不思議な瞳をした少年だった。

午後1時。

「学校はどうしたんだ?」
「もう、終わった」
明らかに少年はさぼっているが、それには触れず、
「そうか、随分早いんだな。まだ昼をくっていないのか?」と聞いた。
「まだだよ。だから欲しいっていったんじゃない」
「知らない奴に飯をねだるなよ」
「じゃっ、それ、いらない」

少年が弁当を指さしながら言うと、手に沢山の傷があることに気づいた。

少年は男の視線を感じて、スッと手を引いて逃げようとした。

「弁当、食うか?」
男は少年に弁当を差し出した。
少年は黙ったまま男の横に座り、弁当を受け取った。
手にしてから、動かない。

男は色々尋ねたかったが、少年が弁当を食べ始めるまで視線を少年の方には向けず、黙っていた。

少年も正面を向いて固まっていたが、男の顔をチラリと見てから、弁当のラップを取り始めた。

ご飯を、一口。

男は、少年に話しかけ始めた。
「何か話したいことがあったんだろ?」
少年は、何も答えず、黙々と弁当を食べている。

男も黙り込んだ。公園で遊ぶ子どもの声、自動車が通り過ぎる音、日常…その存在が、遠く感じた。

弁当を口に運ぶ手を止め、少年が話し始める。
「僕、おかしいと思えることをしてたんだ。みんな僕をおかしいって言うから。おかしいと思えることをして、おかしいと思わなかった人に話そうと思ってた。アンタに会うまで、数人に声をかけた。そのペットボトルのお茶をちょうだいとか言って…あんたに傷を見られたのは、失敗だったなぁ」

本当は、腕の傷に気付いて欲しい心があると察しながらも、
「君は、たぶんおかしくなんかないよ。普通の人間だと思う。弁当を貰おうとすることだって、落ち着いて考えれば本当におかしいことなのかわからないし・・・」
と、男は言った。

「人間…」
少年は、呟く。
そして、話し始める。
「人間…あんたは、不思議なことを言う人だね。そう思ってくれる人に話そうと思っていたんだけど・・・僕をおかしいと言う奴らに対してモヤモヤした気持ちを抱えながらも、自分で自分をおかしい奴だと思っちゃうんだ。何かしでかす時にも、頭は冷静な時が多いんだけどね」
少年は動脈の上についた傷を静かになでながら言った。
そして、
「何も無い」
と呟いた。
「何も無い?」
「信じられるものが、何も無い。全ては、『これが正しい』という思い込みで正しくなるし、信じられる。ずっと、そんな気分を抱えながら生きてきたんだ。みんなが必死になれるのがいつも不思議だった。テスト、勉強、運動会での応援、競争…これから、その違和感、疑いが増していくのがわかる。僕はね、予知能力があるんだ」

「………君の言うことは、間違っていないよ。とても鋭くて賢い。
俺も時々思うよ。『生きているのか死んでいるのか分からない』『動いているのか動かされているのか分からない』って…。それは、本当のことだと思う。それに気付かないふりをするか、それを分かりながらできる限りのことをするか、どこか遠い場所に行くことに救いを求めるか…解決は、それしか浮かばない。
ただ、君はまともな人間だということだ。精一杯生きている。それは、確かだと思う。
もう一つ、本当のことがあるよ」

「何?」

「君が食べた弁当が美味しかったってことだ」

少年は、少し笑った。笑い方を忘れた人間が不器用に笑う時の恥ずかしそうな笑顔だった。

「あっ、俺は仕事の続きをしなきゃならないんだ。また明日、同じ時間にここで会おう」
「…そうだね」
「じゃ、またな」
少年は男の方を見ず、腕の傷を撫でている。


次の日、男は昨日と同じ時刻に公園に行った。
弁当をまた買っていこうかと思ったが、
「必要ないな」
と思い、手ぶらで行くことにした。

ベンチに、少年はいなかった。
だが、白いビニール袋が置かれていた。
中を覗くと、昨日少年にあげたのと同じ弁当と、手紙が入っていた。
男はベンチに腰を下ろし、手紙を読み始めた。

「不思議な、でも普通のお兄さんへ
昨日は、どうもありがとう。『どこか遠い場所』に行くことにしました。遠い場所と行っても、凄く遠い場所ではありません。またここに来ることもできる、『少し遠い場所』です。
弁当が、とても美味しかったことを信じられるからです。
また、いつか会いましょう。
おかしくない人間より」

男はその手紙を横に置くと、弁当を袋から取り出し、食べ始めた。

男もまた、静かで深く温かい「人間である」という感覚を持った。
それに落ち着けるほど人間は綺麗で単純な存在ではないが、それを信じたい祈りに近い思いを持った。

弁当は、美味しかった。
posted by Nanja-Kanja at 16:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 歌詞・詩・小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

腰が痛いのは辛いものです。
私も14年間悩まされました。

私が考案した腰痛解消法をお試しください。
現在、日本で一番多く実践されるようになりました。

【3分腰痛解消法】で、検索すると見つかります。
腰をお大事に。
Posted by 腰痛アドバイザー at 2008年06月03日 20:50
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/96470280

この記事へのトラックバック